金山あつしドラム・パーカッション教室(南浦和)講師 金山あつしの写真

ドラム・パーカッション講師
金山あつし

大阪生まれ。

大学時代からバンド活動に明け暮れ、大学卒業後、ヤマハ音楽院大阪にて金子敏男氏、小前賢吾氏、菅沼孝三氏に師事。

関西中心にメジャーアーティストやバンドのサポート、レコーディングに参加、専門学校や音楽教室の講師もつとめる。

またパーカッションもチーチョ西野氏に師事、カホンやコンガなどパーカッショニストとしての演奏活動も精力的に行っており、
ジャズやフュージョンからポップス、ハードロックまでジャンルを問わない活動を行っている。

2016年に活動の拠点を関東に移し、様々なアーティストのサポートやレコーディング、講師活動を行っている。

《これまでに共演、サポートさせて頂いたアーティスト様》
尾崎亜美、日浦孝則(ex CLASS)、清水興、やなぎなぎ、choucho、池田彩、伊東歌詞太郎、天月、96猫、そらる、まふまふ、gero、ピコ、ROOTFIVE、PointFive等

《参加させていただいた作品》
アイドルマスターシンデレラガールズ、jubeat、beatmania、等

これまでの活動と実績

高校時代にドラムを始め、学園祭で演奏してから音楽の魅力にすっかりハマってしまい、大学に入学してからはいろんなコピーバンドをやっておりました。

《学生時代にコピーしたバンド》
SIAM SHADE(一番コピーしました)、GLAY、L’Arc-en-Ciel、B’z、椎名林檎、ドリーム・シアター、SEX MACHINEGUNS

大学卒業後に音楽学校に入学しなおしてからはフュージョン、ラテン系をよく聴いておりました。

《当時コピーしていたバンドやミュージシャン》
T-Square、Dimension、ミシェル・カミロ、グロリア・エステファン、熱帯ジャズ楽団、等

音楽学校卒業後は大阪にてジャズクラブでの演奏、ソロボーカリストのサポートやレコーディング、レコード会社GIZAスタジオ(倉木麻衣、小松未歩等が所属)でのレコーディングなどを経験。
CATミュージックカレッジ専門学校や楽器店での講師活動も始める。

またアニメやゲーム好きが高じてアニソンのコピーバンドを結成し、当時流行っていた涼宮ハルヒの憂鬱やらき☆すた、FATEなどの楽曲をコピー。

ニコニコ動画にも演奏動画を投稿していた縁でニコニコ系のライブにも多く出演。
のちに有名になっていく歌い手や演奏者とのコネクションを得る。

この時期に有名ボカロPのアゴアニキP(ダブルラリアット等)や40mP(からくりピエロ等)のサポートや、40mP、事務員G主催の「虹色オーケストラ」にてパーカッション参加。
この時期に伊東歌詞太郎、天月、96猫、そらる、まふまふ等の歌い手と共演。
ヤマハPMS講師の資格試験にも合格し、同社で数年間講師として勤める。

しかしいつか自分もアニメやゲームの楽曲に参加してみたい、という願望を抑えきれず、2016年関東へ上京。

関東では山野楽器の講師として務める傍ら、アイリッシュ音楽のバンドやラテンセッションなど、大阪ではできなかったジャンルにも挑戦。いろんなライブハウスでの経験を積む。

また東方系のジャズバンド「東京アクティブNEETs」にて東方系のライブイベント、第三回博麗神社うた祭にパーカッショニストとして参加。
その時対バン相手だった「IOSYS」の作曲家のARMさんと繋がる。

自分がアイドルマスターシンデレラガールズのファンであり、ARMさんはその作品に多く楽曲提供をしている方だったので色々質問をしまくる。
その情熱が通じたのか、後日ARMさんから連絡があり、今参加しているアイマスの曲に参加しないかとの連絡がありぶったまげる。

そして「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 17 Nothing but You」に収録されている「みなぎれ!ボボボンバー」にパーカッション参加。
ゲームの音楽に参加するという目標を達成(しかも自分が大好きでプレイしている作品)。

他にも音ゲーのjubeat、ビートマニアの楽曲にも参加。
またニコニコ超会議にも2度演奏者として参加。
アーティストのgeroが主催するちゃんげろソニック2020にてドラマーとして参加。やなぎなぎ、gero、ピコ、ROOTFIVE、PointFiveなどと共演。

最近の活動内容ブログ

・ライブとレコーディング!怒涛の一日でした!

幼少期からの生い立ち ~ ゲームオタク少年がオタク系ミュージシャンに覚醒するまでの物語

1980年6月5日生まれ。

プロで活動しているので幼少期から何か音楽をやっていたのだろうとよく言われるが全くそんなことは無くゲームばかりしていた子供だった。
特にドラクエやFFなどのRPGやマリオやソニック、ゼルダなどのアクションゲームにのめり込む。

中学時代は陸上部に所属するも、ゲームばかりやっていたせいもあり、2年目の半ばまではほぼ最下位。
それでも続けていたおかげで2年の後半からは少しは陸上部らしい成績にはなる。

3年時は高校受験のため部活を引退し、ゲームも封印して地元でも有名なスパルタ塾に入塾(宿題を忘れると正座させられたり、声が小さいと竹刀を出したりしてくる今の時代では考えられない塾)

部活動以外はやはりゲームばかりやっていたので入塾時は大した成績ではなかったものの、卒業時には偏差値49から66まで伸ばし、地元ではナンバー2の進学校に入学(今考えれば一番勉強した時でもあった)。

高校では水泳部に入部、それなりに部活は休まず参加したが卒業まで大した記録は出せず。そしてまたサターンやプレステのゲームで遊ぶばかりになり、成績はどんどん下がる。

高校2年になるとパソコンゲームをプレイするためにPCまで購入し、ゲームオタクっぷりに拍車がかかる(主にイースなど日本ファルコム系のゲームや、人には言えないようなゲームを買いまくっていた)。

2年の終わりごろ、つるんでいたクラスメイト数人が楽器をやっており、3年の学園祭でライブをしたいからお前も何かやれよと言われ、何もできないので最初はボーカルをやるものの高いキーが全く出ずにクビに。

そして僕の実家は町の小さな工場を経営しており、工場の隅にドラムを置けるんじゃないかと言われ、ドラムの購入を勧められる。
最初は渋っていたが「ドラムはかっこいい」「ドラムはモテる」などの口車に乗せられ、通販で安いドラムセットを買う羽目に。

最初は独学でバンドスコアを見ながら頑張ったものの全く叩けず、スタジオに入るたびに曲のサビまですら辿り着けないという情けない結果に。

それでも3年の学園祭に出るという目標があったので挫折せずに頑張り続け、学園祭ではhideの曲を2曲演奏。
正直かなり練習したので、演奏後色んな人にプレイを褒めてもらえた。

演奏前は緊張したがライブが始まると今まで感じたことのない高揚感があったと思う。
陸上と水泳を3年ずつやってもそちらではほとんど褒められたことなどなかったので、自分は楽器の方が向いているんじゃないかと思い始める。

そして大学に入学した後はヤマハ音楽教室に習い始め、SIAM SHADEを始めいろんなバンドのコピーに明け暮れる(当時はビジュアル系全盛期だったのでそのあたりのコピーが多かった)。

ゲームの方ももちろん相変わらず続けていた。

自分はセガ派だったので大学時代でもメガドライブ、サターン、ドリームキャストのゲームを遊ぶことが多かった。

大学4回生になると就職活動も始め、内定もとったものの音楽がやりたいという気持ちを抑えきれず内定先を辞退して方向を転換した。
そしてヤマハ音楽院大阪という今は無くなってしまった大阪の音楽学校に入りなおす。

プロを目指すからには本気でやるぞ!という気持ちに切り替え、在学中は6時半に起きて学校に朝八時から2時間練習、授業が終わったら3時間練習して家に帰るという生活を送る。

この2年間で色々なテクニックや知識を身に着けて卒業したが、すぐに音楽の仕事があるわけでもなくしばらくは色々なアルバイトを転々とする。

在学中にヤマハの講師試験を受けていたのだが当時は合格せず(というか音楽院生が全員不合格だった。かなり厳しい年だったようだ)。

CD屋、スタジオの受付、ジャズバーでバイトした後、受信系のコールセンターで数年間勤務。
その間に専門学校の講師試験に合格し、講師業もスタートさせる。

そしてインターネットはYouTubeやニコニコ動画の時代に入り、色々な深夜アニメが流行るようになってから自分も友人に勧められてアニメにどっぷりつかるようになる。

一時期は週に10本以上は見ていた時期もあったと思う。
涼宮ハルヒの憂鬱、らき☆すた、ひぐらしのなく頃に、FATE、KANON、CLANNADなど(特にKEY系の作品はドツボだった)の作品はみんな見ていたように思う。

それまではゲームオタクだった自分がアニメオタクにもなり、完全にオタク系ミュージシャンとして覚醒してしまった。

そしてニコニコ動画では演奏系の動画も流行っており、その演奏者たちがライブをするようになったので自分もパーカッションで飛び入り参加できないか聞いた所、受け入れてくださり、そこから自分も動画を上げ始めていろんな方たちとのコネクションが出来た。

特にその時に繋がった鍵盤奏者の紅維流星氏やドラマーのショボンが後に東京アクティブNeetsを結成し、今も僕をサポートで呼んでくれている事は本当に感謝しかない。

それからはニコニコ系のライブにも多く誘われるようになり、ミュージシャンとしての方向性が完全にアニソンやボカロ系のドラマーになってしまった。

特に自分はパーカッショニストとしても活動していたので、アニソン系のプレイヤーにはパーカッショニストは数が少なく割と重宝されたと思う。

そして音楽活動を行いながらヤマハの講師試験を再受験しなんとか合格、数年でそれなりの数の生徒を担当させていただく。

そのままヤマハの講師生活を続けていたが、SNSで流れてくる関東の友人たちの「このアニメの主題歌で演奏しました」「このゲームの曲で演奏してます」
という報告に「自分もこういった曲に参加してみたい・・・」という欲望を抑えきれなくなり、2016年関東へ移住する決意をする。

その時週6でレッスンをしていたが、すべて他の先生に生徒さんをお任せし、(準備には半年以上かけた)関東へ移住。
関東に越してからの音楽活動については上記のとおりである。

こちらでも色々演奏の機会を頂いたが、特に「アイドルマスターシンデレラガールズ」に参加させて頂いた事は一生ものの思い出である。

現在は流石に週10以上アニメを見るということは無くなったが、スマートフォンでアイマスやウマ娘やロマサガ、アナザーエデン、白猫プロジェクトなど、いろんなゲームをプレイしており、いつかそういった作品に関われたら・・・と思いながら音楽活動を続けている日々である。